涙の後で


-4-

部屋に戻ると、慶はベッドの上に寝転んでメールを打っていた。
「…ただいま」
「ああ、お帰り。どうだった?」
携帯から目を上げて慶は俺の方を見て言った。
「ど、どうって?」
先輩とキスしたことを思い出し、俺は思わず吃ってしまった。
すると、慶はそんな俺を不思議そうに見て言った。
「いや…、楽しかったかってこと?」
「あ、ああ、うん。楽しかったよ……。映画見たんだ」
「へえ?実は俺も、ちょこっと町へ行ったんだ。昼飯の後で…」
慶の言葉に俺は頷いた。
「うん…知ってる。友井先輩とだろ?買い物もしてきたんだろ?」
俺が訊くと、慶は眉間に浅く皺を刻みながら起き上がった。
「いや。買い物は、明日一緒にしようって約束したろ?今日は、友井先輩が駅まで行くって言うんで、ついでに、ちょっと町の中を案内してもらっただけだよ」
「え…?」
てっきり、仲良く買い物を済ませたのかと思っていたが、慶は俺との約束を尊重してくれたらしかった。
「先輩は今日、実家に帰るんだって電車に乗って行ったから、俺は駅からまたバスに乗って戻って来たんだ。何処かで見かけたのか?俺たちのこと……」
「うん、駅前のカフェに居たから」
「そうか。気付かなかったな」
言った後で、また慶は携帯に視線を落とした。
俺との会話は、これで終わりらしい。
本当は友井先輩とどんなことを話したのか訊きたかったが、言い出せなかった。
“おまえには関係ない”と、言われそうで怖かったし、必要以上に二人のことを気にしている自分を知られたくも無かった。
上着を脱いでクローゼットの中に仕舞うと、俺はデジカメを手にベッドの上に腰を下ろした。
撮った写真を、明後日、部室のパソコンで確かめてみようと思っていたのだが、その前にチェックして、明らかにピンボケのものなどを削除しておこうと思ったのだ。
ファイルを開いて、画像を液晶画面でチェックし、気に入らないものをゴミ箱へ入れ始めた。 すると、メールを打ち終わったらしい慶が俺の方へ近付いてきた。
「もう、結構、撮った?」
「いや、そんなに…」
「見ていいか?」
「あ、うん…」
俺がデジカメを差し出すと、慶は俺の隣に腰を下ろしてそれを受け取った。
そう何度もあることではない所為か、慶の方から話し掛けられるとまだ少し緊張する。でも、少しは興味を持ってくれているのかと思うと素直に嬉しかった。
「桜が多いな…」
「うん。散るまでずっと、カメラに収めたいと思って。折角、綺麗な桜並木だし…」
「なるほど。…あ、これ、綺麗に撮れてるな」
そう言って、液晶画面を見る慶の横顔を俺は眺めた。
そして、彼の写真を撮りたいと思った。
誰にでも“好きな顔”というのはあるだろう。
美醜には関係なく、好みの顔。
慶は特別美形だったが、それだけではなく、きっと俺にとっての“好きな顔”なのだろうと思った。
「戸田の写真、撮ってもいいかな?」
躊躇いがちに俺が訊くと、慶は目線を上げずに少し笑った。
「俺なんか撮って、どうするんだ」
「うん…。人物も撮りたいんだけど、モデルとか頼める人もいないし…。それに、構えた所じゃなく、自然な日常のスナップみたいなの撮りたいんだ。あ、そう…真藤先輩の部屋にそういう写真がいっぱい飾ってあって、いいなと思ったから……」
訊かれてもいないことまで、俺は饒舌に喋った。
その時は自分でも気付かなかったのだが、それはまるで本当の目的を隠そうとするかのようだった。
「ポーズ取れとか言われるのは困るけど、何もしなくていいなら撮ってもいいよ。けど、撮ったのは俺に見せて欲しいな。あと、勝手になんかに載せたり、人に写真をやったりしなければ構わない」
「ほんとっ?」
「ああ」
俺が食いつくように訊き返すと、慶は笑いながら頷いた。
きっと、駄目だと言われるだろうと思ったのに、思いがけなく慶の了解を貰って、俺は嬉しくて堪らなかった。
やはり、俺の方が意識し過ぎているだけで、慶は案外気さくな奴なのかも知れない。
買い物の事だって、馬鹿みたいに気を回し過ぎていた。慶は俺と約束したのを無視したりしなかったし、ちゃんと尊重してくれている。
今だって、こんなに簡単にOKして貰えたではないか。
普通に接すればいいのだ。
最初の印象を引き摺って、慶を遠ざけていたのは俺の方だったのかも知れない。
きっとこのまま、普通に友達になれるのだと思った。
「そう言えば高梁、真藤先輩にも付き合おうって言われてるのか?」
いきなり訊かれて、俺は思わず頬を染めた。
「あ…、うん、まあ…」
「ふうん。ホントに凄いんだな…」
「な、なに?」
「うん。今日の昼さ、食堂で楠田に捕まって……」
苦笑しながら、慶は言った。どうやら、今回は逃げ切れなかったらしい。
「高梁は、小金井先輩と真藤先輩に、もう告られたらしいって。それと、古賀先輩からもケイバン貰ったとか…。あいつ、何でそんなに詳しいんだろうな?」
呆れたようにそう言って、慶は俺にデジカメを返した。
「そんなことまで?」
俺も呆れて、目を丸くした。
本当に、一体、楠田の情報網はどうなっているのだろう。
「高梁のこと、大人しそうだけど結構強かだとか言うから、高梁から寄って行ってる訳じゃないだろって言っておいた。……まったく、余計なことばっかり喋るヤツだよ、あいつは」
どういうつもりで楠田が俺の話なんかしたのか分からなかったが、多分、彼の思惑は外れてしまったらしい。余計な話をした所為で、慶は益々楠田を疎ましく感じているらしかった。
「あ、ありがと…」
俺が礼を言うと、慶は軽く肩を竦めた。
「だって、ホントの事だろ?」
「うん。なんか、俺自身が一番面食らってるくらいで…」
俺の言葉に慶は笑いながら頷いた。
「そうだよな。こういう特殊な学校だって知らずに来たんだし…。俺も、まさか男からこんなに沢山ケイバン貰うなんて思いもしなかった」
嫌そうな顔でそう言ったところを見ると、俺が知らなかっただけで慶はもう随分アタックされていたらしい。
「でも、俺が言うことじゃないけど、高梁は誰か好きな人が出来たら付き合った方がいいと思うぞ」
「え…?」
慶の口からこんな言葉が出るなんて、余りに意外過ぎて俺は吃驚してしまった。
彼は他人の事に無関心に見えるし、口を挟んだりするようにも見えない。いや、今までは確かにそんな風に感じさせたのだ。
「いや、ちょっと聞いたんだけどな…。中には結構強引な奴もいて、無理やりモノにしようとすることもあるって。高梁は、そういうのに狙われ易そうだし…」
そう言えば、小金井先輩も同じようなことを言っていた。どうやら、慶も誰かから噂を聞いて俺のことを心配してくれているらしい。
嬉しくなって、気に掛けてくれたことに礼を言おうとすると慶はまた口を開いた。
「それに、誰かと付き合った方が、前のことを早く忘れられると思うし……」
“前のこと”とは、正孝さんのことだろう。
慶は、きっとまだ自分の言葉が俺を傷つけたと思って気にしているのだ。
だから、俺には”構えるな”と言っておきながら自分は俺を気遣ってくれるのだ。
嬉しかったが、その反面、慶の気遣いが俺には切なかった。
「うん、ありがと……」
「いや、余計なこと言ってごめん…」
「ううん」
俺が首を振ると、慶は少し頷いて見せた。
「実は、俺も、友井先輩と付き合うことにしたんだ」
余りにもあっさりとそう言われ、俺はただ、黙って慶を見つめた。
「男なんか無理だと思ったんだけどな。でも、友井先輩は凄く綺麗だし、それに気も合うし…。他の男じゃ考えられないけど、友井先輩なら違和感ないかと思って」
「そ、そうなんだ……」
俺はやっと口から言葉を送り出した。
「よ、良かったな。うん、…お似合いだと思うよ、俺も…」
「そうか?」
「う、うん…。だってみんな、そう思ってたみたいだし…。戸田と友井先輩が付き合うんじゃないかって…」
ショックは、じわじわと訪れた。
もしかすると、と思っていたが、まさかこんなに早く現実になるとは思わなかった。
慶は、ずっと誰とも付き合わずに卒業するのではないかと、何処かで思っていた。
いや、願っていたのかも知れない。
だが、俺の思惑は見事に外れてしまった。
そして、それは最悪の形でやってきたのだ。
(俺…、俺には関係ない。関係ないッ…。関係ないのに……ッ)
だが、幾らそう思おうとしても心は激しく動揺してしまった。
そして、友井先輩には勝てないという思いが突然湧き上がった。
(なに…?)
何故、そんなことを考えるのか。
まるで、自分も慶と付き合いたいと思っているかのように……。
「え……?」
愕然として、俺は慶を見た。

この想いはなんだろう……?

俺は、慶を、慶のことを、どう思っているのだろう。