瞳の中に
-3-
本当は資料室で一度抱いた事だし、その夜は小野瀬のマンション行かなくても良かった。
木田専務も今日は支社へ行ったと言うし、その後で小野瀬を呼び出すこともないだろうと思っていた。
だが、自分のマンションで1人飲み始めた梶の下へ、小野瀬のSOSが入った。
本文の何もないメール。
あの夜、小野瀬とまるで契約のような約束をしてからというもの、梶の携帯に度々そんなメールが来るようになった。
会社では必ず場所だけは書いてある。
だが、夜に来るメールには何も入っていない。場所は小野瀬のマンションと決まっているからだ。
木田専務に甚振られた後、小野瀬は決まって梶にメールを寄越すようになった。
それは、まるで、木田が残した足跡を自分の身体から消して欲しいと、小野瀬に言われているようで梶は悪い気がしなかった。
あの小野瀬に、頼られているような気分になれたからだ。
そして、そのメールは殆ど毎日のように来るようになり、梶は自分から水を向ける必要もなく小野瀬の身体を味わっていた。
飲み掛けのグラスを残したまま、梶はシャワーで濡れた髪も乾かさず服を着て部屋を出た。
メールはどうやら外から寄越したらしく、小野瀬はまだマンションへ帰っていなかった。
ドアの前に寄りかかり、梶が煙草に火をつけた時、小野瀬がエレベーターから降りて来た。
そのふらついた足元を見て、梶は眉を寄せながら彼の方へ走り寄った。
「小野瀬…」
「済まん」
滅多に謝った事などない小野瀬が、そう言いながら梶の腕に掴まった。
「負ぶってやろうか?」
「いや、いい。支えてくれれば歩ける」
「今夜は大丈夫じゃなかったのか?」
「帰宅寸前に呼び出されて…。勝手にローターを外したのが気に入らなかったらしい」
「それで?」
ドアの前まで辿り着いて鍵を開けてやると、梶は彼を中に入れてそう訊いた。
「SMクラブみたいな所へ連れて行かれて…」
梶はそれを聞くと眉を顰めた。
木田のセクハラは、日を追う毎に過激になっていくような気がしたのだ。
バスルームへ連れて行こうと思い、梶はその場で小野瀬を裸にした。
すると、その身体には縛られた縄痕や、はっきりとした鞭の痕が痛々しく残されていた。
「ひでえ…」
「でも、叩かれただけで済んだ。薬を使われるよりは増しだよ」
平然とそう言う小野瀬に、梶は却って痛々しさを感じずにはいられなかった。
「やったのは専務じゃなくてプロだから、痕にも残らないらしいし」
素直に梶に全裸にされると、小野瀬はバスルームの中に入って億劫そうに湯船の蓋に腰を下ろした。
梶は自分も服を脱ぐと中に入って行った。
「洗ってやるよ」
「頼む…」
逆らう気力も体力も残っていないのか、小野瀬は素直に頷いた。
「石鹸使うと滲みるかな?」
「いや、大丈夫」
だが梶は痛められた小野瀬の肌を労わって、ボディソープを手に取って泡立てると彼の身体を丁寧に洗い始めた。
全身をくまなく洗うとシャワーを掛けて泡を流し梶は小野瀬を支えて外に出した。
ベッドに連れて行って座らせると、梶は小野瀬に横になるように言った。
すると、怪訝そうな顔で小野瀬は彼を見上げた。
「しないのか?」
その言葉に梶は頷いた。
「今夜はこれで帰る。おまえ、疲れ切ってるじゃねえか、もう眠った方がいいよ」
「大丈夫だ。変な気を遣うな。さっさと犯れよ」
だが、梶は首を振った。
「別に、気なんか遣ってねえよ。今日はそんな気分じゃねえだけ」
すると、小野瀬は悔しげに唇を噛んで俯いた。
「汚いからか?」
「え?」
「俺の身体が汚いから嫌なんだろ?こんな醜い痕が体中に残ってるんだからな」
「俺に抱かれたいのか?」
訊くと、さっと顔を上げて小野瀬は梶を睨んだ。
「違うッ」
だったら、何でそんな目をするのだ。
「漣…」
梶は小野瀬の隣に腰を下ろすとその唇を捕らえようとした。
「何をッ」
避けようとした小野瀬を捕まえ、梶は無理やり唇を押し付けた。
もがいて逃げようとする小野瀬をベッドの上に抑え付けると、梶は強引に舌を差し入れた。
「うぐッ…ん」
両肩を押していた小野瀬の指に力が篭り、梶の肌に食い込む。梶は構わずに小野瀬の口蓋を撫で上げた。
唇を離すと小野瀬はすっかり抵抗を止めて目を閉じたまま横たわっていた。
その身体についた痛々しい痕に、梶は唇を押し付けた。
「や…」
その縄痕や鞭痕の一つ一つに口付けを落としてやると、その度に小野瀬がピクンと震えた。
汚いどころか、真っ白な身体に淫らに赤い痕を残した小野瀬は、いつにも増して妖しく美しく梶の目に映っていた。
「いやだ、そんなことするな…ッ」
両手で顔を覆い、小野瀬は首を振った。
だが、梶は執拗にその行為を繰り返した。
「ふぅ…」
やがて、小野瀬は顔を覆っていた手を離すと、それを下ろしてシーツを掴んだ。
ただ、触れるだけのキスが彼の身体をどんどん火照らせているのか、キスが落ちる度にもじもじと腰が動き、股間では隠しようも無くその欲望が膨らみ始めていた。
梶は、すっかり尖って愛撫を待っている乳首にもキスを落とした。
「んッ…ん…」
忽ち鼻に掛かった声を漏らし、小野瀬の腰が持ち上がる。
舌の先でゆっくりと焦らすように撫でてやり、その両方を代わる代わるに可愛がってやる。すると、堪らなくなったのか、小野瀬は自分から片脚を持ち上げて抱え込み、誘うようにアナルを曝した。
「梶ィ…」
だが梶はそれを無視し、乳首への愛撫を続けた。
時折そっと吸い、また先端を舌先でクリッと擦ると、今度は小さなその粒の周りを擽るように撫でてやる。思い出したように歯を当てると、小野瀬は切なげに鳴いた。
唾液ですっかり濡れたそこを、今度は両手の指で摘むと、梶は少し強く指を擦り合わせるようにして何度も捻った。
「あハァッ……ッ、あっ…、あっ…」
クンッ、クンッ、と仰け反り小野瀬が声を上げる。
そしてとうとう、ペニスから熱いものを迸らせた。
だが、さすがにまだ達,き足りてはいないらしく、そこが萎える気配は無い。
「梶ィ…、アナルも…ッ、アナルでも達かせて…」
両手を背後から回してそこを開き、濡れた身体で小野瀬は梶を誘った。
ベッドの上ではこんなにも、小野瀬は無防備で従順でさえある。
「弄らなくても平気か?」
「うん、濡らせば挿入るから…」
「じゃあ、濡らしてくれ」
口元に持って行くと、小野瀬は逆らわずに梶のペニスを口に含んだ。
滲んだ汁から舐め取り、小野瀬は夢中でそれをしゃぶる。自分の唾液でたっぷりと濡らすと、上目遣いに梶を見た。
その視線に頷いて、梶は身体をずらすと開いて待っている小野瀬のアナルにそれを宛がった。
「いっぱい、突いて…?」
甘えるように言い、小野瀬は潤んだ瞳を向けて梶を見上げた。
その目を見下ろしたが、梶は答えなかった。
ただ、ゆっくりと腰を進め、小野瀬の中へ入っていった。
歩くのもやっとだったほどに疲れ切っていながら、小野瀬はいつにも増して貪欲に梶を求め、最後はまた意識も朦朧としながら、それでもしがみ付いて離れようとはしなかった。
「恭介ぇ…」
虚ろに梶を見上げて両手を差し伸べると、自分から唇を求めてくる。
そしてとうとう、梶の腕の中で意識を無くしてしまった。
汚れた身体を綺麗に拭いてやり、梶は小野瀬をベッドの中に入れて自分はシャワーを浴びると彼の部屋を後にした。
毎日のように身体を合わせていても恋人と言う訳ではない。
梶はどんなに遅くなっても小野瀬の部屋に泊まったことは無かった。
木田に調教を受けて、淫らに変えられた小野瀬の身体が男を求めている事は分かる。それを慰めて欲しくて、思い掛けなく秘密を知った自分を利用しているのだろうと最初は思った。
だが、今夜のように薬に狂わされた訳でもなく、碌な体力さえも残っていない筈の身体が、セックスだけを求めていたとは、梶にはどうしても思えなかった。
正気の時は許そうともしないくせに、狂ったようにキスを求めてくるのも解せない。
そのキスが、性欲だけに突き動かされているようには、どうしても思えなかった。
それは、自分の期待がそう思わせるだけなのだろうか。
そう。
もう、梶も気付いていた。
身体だけの関係を続けるには、もう自分は小野瀬を好きになり過ぎている。
冷たく見えるのは、彼が意識して被っている仮面であり、多分、自分の腕の中に居る時の小野瀬が本物なのだと思う。
そんな彼を、完全に自分のものにしたいという欲望が、梶の中に生まれて、そして段々に大きく育ち続けていた。
「梶、もう少し頑張らないと、今度の人事、危ないぞ」
直属の部長に呼び出され、そう告げられたのは1ヶ月ほど前だった。
梶は梶なりに、頑張ってきたつもりだったが、それでも元々、会社勤めなどには向かない性質が災いしているのだろう。思うような結果が出せずにいた。
今は何処も不景気で、余計な人員は削減される時代だし、梶などは真っ先にその矛先を向けられるような存在だった。
いっそのこと脱サラして、何か始めようかとも思わないではなかったが、何を始めるにしても資金不足で、踏み出せずにいるのだった。
休憩時間に喫煙所に居た梶の前を、小野瀬が通り過ぎて行った。
皺一つ無いダブルのスーツをバリッと着こなし、いつものように颯爽と歩いて行く。そこに梶が居たことに気付いていた筈なのに、一瞥さえしなかった。
正しく自分の対極に居る男だと思った。
梶は苦笑しながらその後ろ姿を見送り、灰皿の中で煙草を揉み消した。
今日はまだ、彼からのSOSは無い。
昨夜、大分甚振ったようだし、木田専務の気も済んだのだろうか。その日は会社が終わるまで、小野瀬からのメールは無かった。